市谷には防衛省の建物が有ります。
東京都新宿区市谷本村町5-1  google map
三島由紀夫が自決した所です。
1925年(大正14年)1月14日生~1970年(昭和45年)11月25日

三島由紀夫は東大全共闘と討論した人です。
youtubeに当時の動画あり

三島由紀夫は好きな小説家でした。衝撃が大きい。
狂気の時は、自分自身でも判らなくなることが有る。
心の中を覗き、動機を知りたい。憶測で物は言えない。

戦争の時、青春を過ごした人は戦後の変わりように戸惑う人が多いようです。

三島由紀夫の生まれてからの事件 大正14年生まれ
昭和4年        昭和恐慌  
昭和7年5月15日  青年将校の叛乱 犬養毅暗殺
昭和11年2月26日 クーデーター未遂事件
昭和16年12月8日 真珠湾攻撃
昭和20年8月15日 第2次世界大戦終結
昭和25年6月25日 朝鮮戦争
昭和44年     安田講堂事件

戦争と争いの時代を生きている
育ってきた時代は頭に刷り込まれる

左翼運動が盛んな時に、右翼の「楯の会」を作った。
全共闘運動の圧倒的な人数の多さに、何か感じるものが有ったのだろうか?
三島由紀夫も全共闘にかかわった一人です。

社会が、どちらの方向へ行くか判らない時に、三島由紀夫は右に、赤軍派は左へ力を頼りに跳ねた。残った多数は真ん中へ。真ん中でも、信念が無い訳では無い。でも、跳ねるような生き方は真似出来ない。

 行動の結果、社会に影響は与えなかった。ただ、人気作家の行動に衝撃は受けた。何を伝えたかったのだろうか。
三島由紀夫は自衛隊の現憲法下での身分を問うていた。
戦後、ずっと突き付けられている課題です。
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 女房の祖父が海軍兵学校出身で、第2次世界大戦終了時は大佐で終戦を迎えている。戦死は免れたが、戦後の苦労話は聞いている。この話は別のブログで公開します。