半世紀まえ日大生だった、おじさん達のつぶやき

50年前の全共闘運動の事を知っている方の意見募集をしていましたが、日大の体質改善要求になっている。アメフトの憤りが大きいので、改善要求をプラスしブログを更新します。2018_07~

日大本部への見学散歩ツアー参加を呼び掛けています。

 1960年 1970年代の安保反対運動や全共闘運動の頃は、ソ連や中国など共産主義の国が有り、左翼学生も元気だった。その後、ソ連の共産主義による社会改革が挫折。共産主義を主導していたソ連は崩壊。中国の内実は、偽資本主義になった。左翼を主張をしている人達は減り、それに対抗する右翼も減る。
共産主義の脅威がなければ、日大も右翼学生を育てる理由が無い。残るは学校の、風通しの良さだけ。

 今回のアメフトの問題をきっかけに、学生会や自由の復活。開かれた学校の運営に転換しても良いにでは。会計の明朗化など。事務局優先でなく、学問優先に。元は法律の学校でした。司法試験の合格率を上げる努力。箱根駅伝の強豪チームへの復活。

 運動部は、監督・コーチによる脅しや暴力よる押しつけの練習や試合を廃止し、学年による差別の撤廃をする。アメフト部はコーチが試合で活躍した選手ほど、いじめたようだ。やる気の有る生徒を潰している。退部し他大学へ行ったり、運動を辞めたりしている。
優秀な人が現れるわけがない。
 
   ------------------------
 
 優れた人は年齢に関係なく現れる。皆、スポーツが好きで上手くなる。更にやる気が出て上手になる。トップ選手なればなるほど、その傾向が強い。

 サッカー界では、競技中に若手が先輩に指図したりしている。サッカーW杯で、密なコミニュケーションから生まれた頑張りを見た。
 冬季オリンピックでもカーリング女子の、競技中の密なコミニュケーションと一人一人の自主性・独立性の確立による銅メダル獲得。
 スポーツの、これからの在り方を見た。

 暴力と金による学校運営や運動部の指導は、何も産まない。学生の自由な発想と自主性に寄る練習を元に試合を組みたてないと、本当の力が出せないのでは。このままでは、A級の選手は出せてもスーパー級の選手は出てこない。学問でも運動でも言える。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日大当局から何も発言が聞こえない。

 聞こえて来るのは報復人事

 日大の現在の姿は、今の日本の姿に合っていない。他の学校は開放に向かっている。
旧態依然の形が続居ている。北朝鮮のように、国の中にいる人は判らない。外から見ると、見っともない姿です。

日大当局のトップが、やり方が判らなければ提案します。
 一番手っ取り早い解決方法は、理事長を含め理事の解任。1/3をとりあえず解任。引継ぎが終った後、半年ごとに1/3づつ解任。人が変われば学校も変わる。

暴力装置は、もう必要ないので学校を変えるチャンスです。

    橘樹 孝高(仮)

    
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●現在進行中の、日大騒動=アメフト問題は、日大卒業生としては腹に据えかねるものがあります。
僕らも日大の学生時代は、ブロイラーのようなおとなしい無気力な学生と、世間から揶揄されていました。
そんな僕らも大学の経理不正問題と、応援団+体連による暴力弾圧で学生会が目の前でつぶされたのに我慢できず、自分の周りから次々に闘争に決起していった学生たちを見て、気が付けば、自分もその渦の中にいました。
今の学生も世間から無気力だなんだといわれています。クラブのOB会で現役の日大生にアメフト問題のことを聞いても、ただ下を向くばかりです。僕らの学生時代と同じです。

●このままいけば、学内で唯一人声を上げた教職員組合もつぶされて、田中理事長のもっと強い力での支配体制が日大を再び覆ってしまうでしょう。
ちなみに僕らの時(50年前のことですが)学生会を暴力でつぶしたのは、今の田中英寿理事長その人です。
彼田中は、当時相撲部で応援団や他の体育会とともに、古田会頭(大学のトップ)の命令で、日大全学部から集めた体育会の力で学生を押しつぶしたのです。
また、その時の暴力の犯人の一人は、現在の 【経済の校友会長】で、【日大理事】に収まっている人です。
今声を上げなければ、日大は、前よりもっとひどい田中氏取り巻きの私物化された大学になってしまうでしょう。

●この前、市ヶ谷の日大本部に見学に行ってきました。祭日のため、報道陣もいなくて、警備員さんだけの静かな様子でした。また、日大本部に時々行こうと思ってます。
誘い合わせて行ってみませんか?
用もないのにうろうろしている卒業生に日大はどんな反応をするのでしょうか。
人数が増えれば、どうなるのでしょうか、楽しみです。
誘い合わせて行ってみませんか?
OBとして黙っていらんないもんね!
                         
                経済OB  (仮)神田 2018年7月20日

----------------------------------------------------------------------------

日大全共闘経闘委のサイトから抜粋です。経闘委アドレス
 これは日大経済学部当局調査委員会の公式資料の写しです。

Matake_001

 
日大闘争を戦った同志です。過去の行動を総括し本にしました。執筆に十数年掛かったそうです。

著者の名前も難しい。眞武の「眞」と題名の叛乱の「叛」も見慣れない字です。それから「クロニクル」は年代記・編年史の意味です。本を読む前に、まず感じてしまった。

本人は芸術学部に在籍。闘争委員長をやっていた。気さくな良い男です。

 
<日大闘争は、いつ終わったのか>
 本の中にも、いつ始まったのか、そしていつ終わったのかが書かれています。人により話が違います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 そこで、私の闘争の終わりの思いを語ります。
 集会の人集めで電話をかけ呼びかけていました。それが、ある時を境に「学校はいつ始まるの」「授業再開はいつ」の返事が多くなりました。
私等は大学生活4年という制約が有ります。その時間の制約に負けた時が、日大闘争が終わった時と思っています。電話番をやっていた御蔭で、人より先に皆の心が掴めました。
 大勢の思いでやった闘争でした。皆の心が離れれば終わりです。これが私の終焉です。
                   三毛猫



 

 50年前日大に入学後、女の子に言われた言葉が「ポン大生」でした。心が傷ついた。
でも、周りを見回しても麻雀とパチンコに明け暮れる人ばかり。反論ができない。
 でも、そんな学校でも使途不明金の問題が起こり、更に暴力が横行して、ぼんやりしていた生徒達が怒りに燃えた。あの「ポン大生」と言われていた、日大生が燃え上がってしまった。
 右とか左とか関係なく、皆怒りに燃えた。左翼学生だけが問題意識が有り先進的ではない、平凡な学生ほど怒りに燃えた。親が払ってくれた授業料が、何処かへ行ってしまっている。自分だけでなく親に対しても侮辱されたようなものです。
全共闘運動で先頭に立ってはいないけど、当時、心は怒りに満ちていた。

 又近頃、問題になっているアメリカンフットボール事件が発生した。情けなく思う。
日大が良い学校と人に勧められないし、恥ずかしくて日大を出たとも人に言えない。
これ以上、心を卑屈にさせないでくれ。

 自分は今でも思想的には、右寄りと自分でも思っている。でも正義は日大に必要と思う。人が何と言っても大学なんだから。最高学府だもの。

    法  信濃 健児(仮)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三毛猫 後記
 麻雀とパチンコに明け暮れた人達はバリケードが出来て授業が無く時間が有ったので、そちらの方はそちらの方へいったのでは。麻雀とパチンコの問題意識が高い。日大の問題など自分には関係ないと思う人はいた。何とかなるさ!!!と。

こないだ、日大経済学部のちょっと先の金華公園で、なんか50年前のおじさんたちが集まる、ちゅうんで、
私も行ってみた。120人近いおじさんたちが集まって、わいわい賑やかに盛り上がっていた。
自分たちは50年前に、ひどい日大に怒って街路を走り回り、怒りの声を上げたけど、結局何も変えられなかった、
1回は勝ったけど、当時の佐藤栄作のおかげで元に戻された、50年ぶりに集まったらアメフトの問題で
何も変わっていない日大を又見てしまった、俺たちはあれから歳をとってしまったけど、やっぱり許せない、と、
叫んでいた。俺も歳をとったけどなんか懐かしくて、怒りがこみあげてきた。現役の学生たちはどう思っているんだろう。俺も、なんかもう一度叫びたくなった。だけど、あの時、あんなに大勢の人たちが集まって、そして叫んだ。
若い人たちだけに責任を負わせられない、毎日暑いけど、心も熱くなろう、人生はまだこれからだと、熱中症に
なりかかりながら、自分を励ました。お~い、みんな、まだやることがあるぞ、俺たちゃ元気だ、あの走り回った
時を思い出そう。でも、家に帰ったら母さんが、もう無理はできないのよ!って暖かく迎えてくれた。ビールが
とても旨かった。やっぱ、明日も頑張ろう。                                 森のカブトムシ








↑このページのトップヘ